今日はお休みだったので、いつも初詣に行かせてもらっている神社に。
なにげにこの神社、ホームページ持っているんだよね。
http://homepage3.nifty.com/kasaijinja/
たまに見るとしっかり更新しているあたり、
宮司がよっぽどマメなのだろう。
本殿にお賽銭を投げてくる。
初詣はこの神社。なにげに数百人くらい並んで、
30分くらい賽銭投げ待ちすることもある地元密着神社。
いつもここのお神酒を年始めの若水とさせていただいております。
お賽銭箱の真上にある飾り彫り。
マイナーな神社仏閣をふらふらお賽銭投げまくっていると、
死んでいる施設と生きている施設があるのに気づく。
こうして定期的に彩色をしている神社は心得ている。
しっかりと神社のすみずみに「気配」を感じさせる。
中には、文化財だからとかわびさびというとこで、
朽ちるに任せて、剥げ散らかした色の残骸を曝していることもある。
こういうものを見るとちょっと悲しくなる…
せめて、色を塗る。苔を落とす。施設周囲の雑草を抜くくらいはしてほしい。
わたしは信仰らしい信仰はまったくないし、家は浄土宗。
けれども日本的な信仰の在り方くらいは身についている。
神様がいれば拍手を打って、仏様がいれば手を合わせる。
そうした敬意を受ける存在が、手入れもされずに放置されるのはよくない。
とくに日本人の美意識である『わびさび』が悪い方向に向かってしまう。
宗教施設は廃墟遺跡ではないのだから、
色があるところには色を塗り、
新しくしなくてはならないところはそうしなくてはならない。
わかっていない者は彩色について「ケバケバしい」というが、
本来、色のひとつひとつに意味がある。
TVなどで流れるタイの寺院などを見ると、
今でも仏像はきらびやかに飾られ、彩色されている。
これが生きた信仰というものだろう。
ものに対する敬意。と言い換えてもいい。
わたしが毎年。そして気が向けばこの神社に足を向けるのは、
そうした日本的な信仰が生きているから。
この神社はどこも清浄で、目がいきとどいてきれいだ。
古いものを大事にして、今に伝えている重みがある。
狛犬もすっきりと朱を注してもらっている。
今も生き生きとしている神社は狛犬から違う。
これが元暦二年。西暦1185年から続いている神社だ。
わが地元の鎮守であり、誇りでもある。
なお、この神社には本殿の他に大小さまざまな祠があり、
それぞれ丁重に祀られている。
写真は白蛇を祀る弁天様の社。
ここは天明七年(1787年)の造営というから、
日本の歴史の深さがうかがえる。
どこの世界に、ちょっと歩けば2〜300年クラスの文化財がいくつもある国があろうか。
わたしはこんな日本が大好きでならない。
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