ずらりと並んだお地蔵様やら石碑やら。
ものによってダメージが違うのは、時代時代で作られつつこの場所を行き交う人々を見守ってきたお地蔵さまたちゆえ。
こちらはおそらく一番古い石仏で宝永時代のもの。
画面左にうっすら「宝永」の文字が見えますね、
だいたい1704〜1710年あたりのことを「宝永」と呼ぶようです。
宝永といったら富士の大噴火があったとき。
この石仏は荒ぶる富士を目撃したかと思うとしみじみ。
お顔も判別できないくらい朽ちているけれど、いまだ供え物が耐えない。
わが葛飾区の地元の宝だ。
こちらも「宝永」とあるけれど比較的ダメージ低し。
御かんばせが見えるおかげか、こちらのほうには柿の供え物が。
ただしイケメンに限るは仏教においても真理だ。
この石碑は昭和49年製。
「石沸補修」とあるので修繕にかかわった人の名前を入れたものか。
そしてこれが一番新しく平成10年。
御影を使った豪華な石碑だ。
どうやらこのお地蔵様たちは引っ越してこちらにいるらしい。
歴史の見える石碑はいいものだ。
日本人のお約束で硬貨がちょこんと。
本邦の人々ときたら神仏を見ればひとまず賽銭を投げる。
ものごとへの感謝の現れではあるものの、ここに置くのはどうだろう。
八大竜王も苦笑しながらこの浄財を許容してくれるだろう。
やっぱり日本はいい。
地元を歩くだけであちらこちらに史跡がある。
これからも大事にしていきたいものだ。
にほんブログ村
[↑わたしも賽銭箱がない祠に硬貨を置くタイプです]
==========