今夜はインターネットで悲しい話を目にして少し凹んでいた。立川にある猫カフェでパルボウイルスという致死率と感染率の高い病気が蔓延し、そこに在籍する猫たちが次々と亡くなり、管理体制に問題があったのでは? というものだ。
これが事実かどうかは近く、明らかにされるだろう。けれどもそんな話題で心が明るくなるはずもなく、この夜はなんとなく鬱々としてしまった。わたしにできることなどほとんどないのに、勝手にダメージを受けてしまった。悪い癖だ。
なので、カメラを持って近所の猫様たちのご機嫌伺いに出た。
この暑い夜、野良猫たちは思い思いの場所でなるべく涼しい場所で夜を過ごす。
少し前まで、近所には猫カフェがあった。今どきの猫カフェではなく、喫茶店に看板猫がいるタイプの古きよき猫カフェだ。運が良ければ猫様の座布団にしてもらえたり、靴を枕にしてもらえたりする。さらに運がよければタッチも許される。
残念ながらその店はもう無くなってしまった。
閉店30分前に滑り込むと猫のごはんの時間と重なる。猫たちの食事風景を眺めながら飲むコーヒーは格別であった。
あれこそ伝統的な猫カフェであった。
今どきは衛生面といった面で問題があったりもするかもしれないが、人と猫と喫茶店がひとつになれる場所は町にひとつくらいあってほしい。
当節流行りの○○カフェの中には、飼育放棄やネグレクトのような環境で営業しているところもあり、定期的にそれが問題となってニュースにもなる。
運命の巡りで屋根と壁のあるところに住めたというのに、猫たちはそこでの生活水準を選ぶことができない。
だから野良猫でいるほうがいいかといえば、そんな極論は持ちえない。単純な問題ではないのだ。こんなニュースが報じられるたびに、ただただ悲しいのだ。
野良猫たちは猫カフェの猫のように愛相がいいわけではない。地域猫として愛されている猫もいるが、外猫の苦労は計り知れない。
それを知っているからこそ野良たちの姿は気高くわたしの目に映る。
触れ合えなくともいいから、せめて遠間で写真を撮らせてほしい。
わたしの腕はともあれ、撮るたびに思わされる。その気高さはどこから来るのか。どうしたこんなにも誇り高くいられるのだろうか。
多分に考えすぎかと思われるだろうけれども、おそらくは考え過ぎに違いない。それでも猫について考えるとき。わたしは平素よりもほんの少しだけ気高くなった気持ちになれるのだ。
===オマケ===
「あっ猫様だ! あっ違う靴だ!!(パシャッ)」
[↑すべての猫たちが幸せになーれー]