獣道。という言葉があれけれど、仮にも生まれも育ちの東京のわたし。
そんなものは見たことがない。歩いたこともない。
街に住むのはニンゲンと鳥と犬と猫くらいなものだ。
ニンゲンは藪を漕がずとも舗装された道がある。
犬もニンゲンに飼われて舗装の道を行く。
鳥には空がある。
そう、わたしにとって獣道とは猫の道に他ならない。
街の猫は平面だけではなく立体的な道を作る。
藪だけではなく屏の上。屋根の上。裏庭の縁の下。
ニンゲンではとうていついていけない猫だけの秘密の道。
「いっしょに来るかニャ?」
みたいな問いかけの眼差し。
「いや、仕事に遅刻しちゃうので」
「あっそう」
的な無言の会話を交わす。
猫は気まぐれにニンゲンを導くが執着はしない。
だがしかし、あのままどこまでもあの猫についていけたなら。
そんなことを思ったりもする。
藪を抜けて屏を登り縁の下をくぐらなければたどり着かない、
猫の国があったかもしれない。
仕事中でもふと、あの猫のことを思い出しては
「あのままついていけるところまでついていけたら、もしかしたらわたしも…」
などと妄想する。
妄想は実行に移さなければ妄想のままだ。
ときには猫のように自由に人目はばからずにふるまおう。
猫の道だろうと人の道だろうと自由の道はケモノの強さが必要だ。
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[↑縁の下はさすがに潜れません(頭をひっかけて)]
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