ある日何気なくGoogle Mapsを眺めていると目に飛び込んできた言葉「こんにゃく稲荷」。なにそれ。これは一刻を争うぞということで、次の日訪問を決めた。墨田区八広… 縁のない場所だな。
めちゃくちゃ正面の入口。民家が近くかつ狭い。少し大きなクルマだったら入っこれない。(裏からクルマが入って駐められる参拝者用駐車スペースあり)そして外周部がうっすらご近所さんのプランターに侵食されている。いいよ、これは地元密着型の匂いが濃厚だ。
ひとまずお賽銭を奮発してお参りを済ます。一通り神社を眺めて撮影させていただく段になると「このお稲荷さん…なにかが違う」という気持ちになる。
神域全体が息づかいというか、躍動しているかのような趣がある。
お狐様もなにか生命力すら感じる…なんだ?
唐獅子牡丹の彫りが入った透かし化粧板も妙に生々しい。
ああ。わかってきたかも。
この神社は完全に生きている。しかもまだ壮年の神社なんだ。
神社としてすべてがある。鳥居があり手水舎があり本殿があり社務所がありご神木があり町内神輿の倉庫があり祭りに使う高殿がある。そしてギリギリ広いといえるだけの広場がある。ここは毎朝ラジオ体操が行われる場所であり、もし住宅密集地帯で火事が起こったときに避難できる場所となる。そして御手洗まで。これは大事だ。
さながら小国の首都。であるかのようなインフラが整っている。それが調和しているからこそ感じた「何か」があったのだろう。
ここにいるだけで満たされたような心持ちになる。どれだけ満たされたかというと「こんにゃく稲荷」という強烈な言葉に引き寄せられたにも関わらず、こんにゃくの存在を忘れてただただ神社参りで満ち足りてしまった。というくらいだ。
というわけで各種縁起や贈与品についてはこちら公式ホームページを。
正直わたしは現世利益のために神社仏閣を巡っているわけではなく、「なんかイイ」という原始的な欲求に従っている。ついでに写真を撮ってそれについて文字を書くことができればさらにヨシ。というところがある。ご利益などについては適当に公式を調べてほしい。わたしはフィーリングと所感を述べたいだけなのだ。
しかし、そんなわたしも浄財を収めるからには…というすけべ心があり、いつも手を合わせる際には「今日一日ハッピーで過ごせますように」という祈りを込める。そして、そんな祈りをしたことすら忘れて帰るのが常だ。
ちょっと甘いものを事務所に持っていくかな。と、八広の和菓子の店に立ち寄った。『和菓子屋 西野屋』。とてもいい店構えだ。
昔ながらのショーウインドゥには和菓子が。ここからは見えないが、凍らせたペットボトルが奥に隠れて庫内をひんやり保っているのが心憎い。わたしは塩大福をいくつか購った。
会計後、バイクのトップケースに大福をしまおうとすると店の中からお母さんの声が。
「ちょっとお待ちなさい」
はて何だろう? と思っていると塩大福をおまけにひとつ頂いた。
現世利益など信じることも期待もしないわたしだが、脳裏に浮かんだのはこんにゃく稲荷のお狐様。ほんのちょっとの地元のハッピーにつつまれたわたしは、その場で塩大福をむしゃりと食らう。
甘さ控えめの滑らかなこしあんに含まれた塩気が、八月の酷暑下で食べるのにすばらしく合う。甘さ控えめ、といったが塩気があるので味にメリハリがありがパリッとしている。指でつまむと溶けるように変形するほど柔らかい大福は、もはや法悦。
「お狐様…これはハッピーだよ。大福でありメガハッピーだよ」
この日はずっとハッピーでありました。
墨田区八広のこんにゃく稲荷。なかなか何かの用事で通りがかることは少ないとは思うけれども、思い出したら立ち寄ってほしい神社のひとつになった。
とはいえ今も地域住民の憩いの場として現役機能している神社だ。よそ者が立ち入る場合は謙虚に臨もう。
[おまけしてもらった分ひとつ多くなった塩大福は事務所の向かいの御婦人にお裾分けしましたっピ。ハッピーのお裾分けは大ハッピーだっピ!!]





















